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 無意識、そして環境要因へ――視点の変遷】

 精神的に不安定な状態がおきる「病気」の原因は、その人の体質(性格、遺伝、脳)にあるとの考え方は、かなり長い間続きました。

 20世紀に入ると、**心の内側――つまり「無意識」や「葛藤」**に注目する精神分析の時代が到来します。精神病とは異なる「無意識」にある内的な「葛藤」が症状を作るという、「神経症」概念が生まれます。フロイトらによって、「神経症」や「ヒステリー」といった、外から見えにくい内的な心の力が重視されるようになりました。

 しかしそれでも、「問題の原因は個人の内面にある」という見方は変わりませんでした。また精神病とも神経症ともと言いにくい、その中間の状態に対して、人格の障害(パーソナリティー障害)という視点で見ていく流れも、50年代~60年代にかけて生まれてきますが、ここでも持って生まれた資質、体質に原因があるとの考えが残ってもいました。

この流れを大きく変えたのが、戦争とトラウマの経験でした。


 第二次世界大戦や、米国においては60~70年代のベトナム戦争で、多くの兵士たちが戦場から戻った後に、重度のうつ状態やフラッシュバックに悩まされまされるという、強いストレスという環境要因が、人の心を大きく蝕んでいく事実が明るみとなっていきます。そして、社会とこころの相互関係を研究していく、社会心理学や社会精神医学の分野での、様々な発見もあって、環境要因による精神疾患という考え方もクローズアップされていきました。


 「環境――とくに強いストレス――が人の心を壊す」という視点が生まれ、精神疾患について、内的な資質の問題、心理的な問題、環境・社会の問題、BIO-PSYCO-SOCIALといった現在の精神科診断の基礎となる見方が生まれてきたのです。

 【1980年、診断のパラダイム転換――DSM-Ⅲの登場】

1980年、アメリカ精神医学会は、診断基準を大きく変える「DSM-Ⅲ」を発表します。


この改訂では、「原因(体質・無意識・環境)」を問わず、症状に注目して診断をつける方式に切り替えられました。原因ではなく、症状で分類する仕組みです。「原因が何か」ではなく、「いま、どんな症状があるか」を重視するものに変わったのです。

​脳で何が起きているかは、はっきりと説明できるほど、精神疾患の脳内での動態については理解されていません。ですので、原因についてではなく、その症状で整理しようとの考えです。

 そして、うつ病が躁うつ病とは症状の経過が異なるため、違う病気だとされ、どのような原因であれば、生活に支障をきたすレベルで二週間以上つづいているなら「うつ病」と呼ぼうとの診断が登場しました。

 

 ただ、症状だけの捉え方では、環境の問題から起こる精神的不調についての視点が抜け落ちてしまうため、症状での診断分類だけではなく、一部、原因(環境要因が原因だとするもの)による診断分類として、ストレス関連疾患として適応障害やPTSDが、診断として初めて登場もしました。

その結果、抑うつを起こす診断としては、次のような分類となりました:

・症状が重く長く続く:うつ病(Major Depressive Disorder)

・軽度で反応性のある:適応障害(Adjustment Disorder)

・強いトラウマによる反応:PTSD(Post-Traumatic Stress Disorder)

​ この新しい診断方法は、過去長く続いてきた「病気=体質に原因」とした、個人に原因を求めるものから、より社会的な環境要因にも原因を求める見方も生まれましたが、基本的な診断の枠組みは、あくまでも原因については不問にして、特徴的な症状があれば、それをひとまとめにして病名をつけるという、症状学的診断に一気に舵を切っていく事になりました。

 

 

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【現代の課題――うつ病という診断名の光と影】

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 今日、うつ病という診断名は、さまざまな場面で使われています。
 けれど、その使いやすさゆえに、いくつかの問題も生じています。

・個人の物語が見えにくくなる

本来、うつ状態はその人の人生の文脈の中で現れているものです。
しかし診断名がつくと、「症状のセット」として一括りに扱われてしまうこともあります。

・適応障害との区別が曖昧

ストレスへの反応なのか、脳の内因性の疾患なのか、診断上の線引きが難しいことも少なくありませんし、そもそも診断の仕組みが違うもの(一つは症状、一つは原因)で分類しているため、診断名の混乱が起きやすくなっています。

・ レッテルとしてのリスク

診断名があることで医療や支援につながりやすくなる一方、「うつ病だからできない」「うつ病の人は弱い」といった誤解や偏見につながる危険性もあります。

【診断名を超えて】

 うつ病という診断名には、100年以上の歴史と、社会の中での受け止め方が折り重なっています。


 けれど、その診断名の背後には、一人ひとりの人生と経験、物語があります。

診断はあくまで「今の状態を整理するための一つの道具」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。


 私たち援助者や支援者、そして当事者自身も、「うつ病」という言葉の歴史と意味を理解しながら、その人の物語に丁寧に耳を傾けることが、これからの支援には求められています。

 

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