トラウマの原因(二つのトラウマ・大きなTと小さなt)
交際相手と言い争いになり、『だからあなたはダメなんだよ』と言われた。それまで不眠があって薬をもらいに通っていたお医者さんに、『そのことがトラウマになって、いつもイライラしたり、惨めな気持ちになってますます眠れなくなりました』と話したけども、『そんなんじゃだめだ、もっと強くなりなさい。トラウマなんかじゃないから』…なんて言われたら…。(こんなこと言われたら、それもトラウマになりそう…。)
『トラウマ』という言葉には、さまざまな意味合い、捉え方があります。
皆さんは、こころに大きな傷を残すトラウマについて、どんなものを想像するでしょうか?戦争の被害者や参戦体験、危うく死にかけた事故、自然災害、暴力や性被害、身体的暴力を伴ういじめや虐待被害、…。トラウマという言葉に対して、こういった理解をされる方も多いのではないでしょうか?
こういった理解は、心的外傷体験(トラウマ)による心身の不調として、最初に診断名ができたPTSDの診断基準(*2)のなかで、トラウマについての当時の臨床医やセラピストのコンセンサスでもありました。
しかし生命の危機とはならなくとも、人からされた嫌な体験、悪口や、無視された体験、また本来自分のことを大事してもらえるはずの人から関心をむけられないこと、お母さんから叱られて『あんたなんか産むんじゃなかった』と、ため息つかれた体験…。それらは、やはり深く心に残り、その人の考え方や行動に影響を与えても行きます。
トラウマ焦点化心理治療に携わっていると、医学的な意味で言われる『トラウマ』ではなくとも、いわゆるPTSDと呼ばれる状態と同じような症状が続いている方とたくさんお会いします。
仕事のストレスから長期休職し、休んでいる間は友達と遊びに行ったりできていても、仕事復帰を考えると体調が悪くなることが繰り返され復帰できないでいる方。
話を聞いていくと、その仕事を休むことになった行き詰った様々な体験を、いまだに思い出すと体に当時と同じくらい苦しい感覚が出てきていて、結果的にそのことを考えないように避けている。
そんな自分を惨めな人だ、社会人としてだめだと責める気持ちが続いている等、事件や事故被害といったトラウマ被害にあった方たちと同じような症状が長期にあることに気づきます。
そういった方たちとトラウマ焦点化心理治療を行っていくと、回復し仕事復帰していく、また自らの意思で転職し新しいチャンスを切り開いていく、そういった治療によって好転していった方々を多くみてきました。
トラウマ関連の心身の不調を扱うセラピストは、医学診断でいわれるトラウマ以外にも、似たようなトラウマ反応を起こす出来事があるということを経験的に学び、後者のきっかけになるような体験を『小文字の t のトラウマ(trauma)』と呼び、前者を『大文字の T のトラウマ(Trauma)』と呼ぶなどもしています。
Tのトラウマのほうが、t のトラウマよりも重症だということでもありません。例えば、ずっと母親や周りの人から自分の姉と比べられ続けてきた妹。
弟のほうが大事にされてきた姉、親が虐待的な行動をしていなくても、親が経済的理由や妹弟の世話で忙しく、姉ちゃんだから我慢してといわれて、相談したいことがあっても迷惑かけちゃいけないと一人で全て解決しないといけないと感じながら生きてきた子ども…。
夫が浮気し、そのことを謝られて許してはみたけれど孤立感が続いていて、それから何年もたつけれどもいろいろなことが楽しめなくなった女性…。
生命の危険ではなくても、自分の求めるものが得られない状況が、特に幼少期から長期に続いていたり、たった一度のことであって、信じていた人から裏切られる体験。
こういった出来事は、その人のこころの中に深く傷を作り、心身の不調の原因となっていきます。
またTのトラウマと異なり、気にしないでがんばってと友人からいわれたり、自分自身でも大したことじゃないと考えて、そのことが不調の原因だとは気づかないまま長期にわたり不調だけが続くなど、Tのトラウマ被害と同様に、本来その人があるべき状態から、長期にわたって大きく流れが変わってしまうことも起きていきます。
(*2)PTSD(心的外傷後ストレス障害 Post Traumatic Stress Disorder)という診断名がアメリカの精神神経科学会(APA)で作られた時、その状態を起こす原因となるトラウマについては、かなり範囲を狭く作られました。
当時アメリカは、ベトナム戦争に参加した兵士の心身の傷の賠償の問題や、社会的に明るみになってきた性的被害を受けた社会的な弱者たちの問題を扱うにあたり、社会的なルールを作るために『トラウマ』という言葉を、かなり限局的な状況に限って定義をすることにしたのです。
心に強いネガティブな影響を与える『トラウマ』とは、戦争や生死を争うような事故や事件被害、災害被害、レイプ被害などかなり衝撃的な体験に限局されるようになりました。
基本的に今もAPAの診断基準のなかに、このトラウマ体験を限局的に扱うことは続いています。最近になってWHOの作る診断基準ICD‐11の中で、初めてこの基準についての変更が若干なされ、PTSDの症状があることをまず診断では重要視して、その原因についてどのようなものであるかについては、あくまでもクライエントの主観的体験のものとして、いままでの診断ではトラウマとはしなかったことが原因であっても、PTSDと診断されうる、ある程度幅を持ったものとなってきています。
どこまでを『トラウマ』とよび、どこからは『トラウマ』と呼ばないか、時代・地域・文化によっても異なってくると思います。ここではトラウマという言葉をできるだけ広くとって、思い出すと今でも心に不快な感覚を引き起こす体験記憶のことと、ひとまず大きくとらえています。
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