トラウマの反応
こころに傷を受けるような体験をしたとき、私たちのこころや体は様々な反応をしながらその衝撃的なできごとから自分自身を守ろうとしてくれます。
しかし、その反応が、その出来事が去って時間が十分たった後でも体に残ってしまうこと、それが症状となって生活への影響を与えていくようになった時、それはこころの不調として対処が必要となっていきます。
強い衝撃(大きすぎるToo Much, 急すぎるToo Soon, 速すぎるToo Fast ため受け止められない体験)に対して、何が起きているのかについて、頭の中では整理ができていません。
以前トラウマ治療の研修に参加したときに、『10人くらいの人に囲まれて一斉に今日食べたものを大きな声で言ってもらう』体験をするデモンストレーションがありました。
一人二人のいった言葉は頭に残っていても、あとは何を言われているかわかりません。
つまり一気に脳に情報が入ってくると、こういった反応が起きてくるのです。
何が起きているかわからない。
いくつかのことは記憶に残るにしても、全体的には圧倒されている音の塊の感覚だけが残っている状態。
これが、朝食べたものではなく、自分の人生を揺るがすような出来事や、深く傷つける言葉であったとしたら、脳はその処理をできずに止めてしまうでしょう。
トラウマ体験の記憶は、このように脳の中で処理が止まった状態にあるといってもよいかもしれません。
(*)最近では、ただ止まっているのではなく、その記憶のまま体に刻み込まれていると考えられるようになってきています。その仕組みは、【トラウマ反応が長引く理由】で解説します。(現在製作中)
・再体験症状(フラッシュバック・悪夢・侵入症状)
その出来事から一か月以上たっていても、その出来事が、いま起きたかのような感覚や感情、その時に感じていた苦しい考えが浮かんでくる。またその時の場面が断片的に浮かんでくる。いわゆるフラッシュバックと呼ばれる体験です。
これは、まだその出来事の感情の処理が出来ていないため何度も何度も、思い出したくないのに浮かんできます。眠っている間に起きてくる場合もあります。その時は悪夢として感じられます。何とか眠ることができても、生々しい恐怖を感じる夢を見て目が覚め、目が覚めてもしばらくドキドキしている…。
これも、トラウマ反応に特有の反応です。うつ病でも睡眠障害は起こりますが、悪夢を見て飛び上がるように目が覚め、しばらくその怖さが続いている場合は、うつ病よりもトラウマ反応(広い意味でのPTSD)に特徴的な症状です。
また、イメージは出てこないけども、突然、ゆううつな気分や不安な気分となる、その時の感情や感覚が発作的に出てくる。その時の否定的な考えが出てくるといったものも、フラッシュバックと同じメカニズムで起きてきています。こういったイメージを伴わない発作的な抑うつ症状のことを、不安障害の研究者である貝谷先生らは『抑うつ発作』と呼んで『うつ病』と区別しています。また英語ではintrusion symptoms (侵入症状)と呼ばれますが、intrusion は、勝手に頭の中に浮かんできて邪魔をするという意味です。自分で、思い出そうとしているわけではないのに、勝手に浮かんできてしまうので苦しんでいるという状態です。
・過覚醒
そのつらい出来事が、今も続いているように体は感じていて、常に警戒し続けています。
不安が強くなっていて眠ることもあまりできません。
いつも警戒し続けているのですぐ疲れてしまいます。
そのため頭の疲労がとれず、うつ病となる人もいます。
ずっとびくびくしているので、ちょっとした物音だけでもドキッとするし、後ろを人が通っただけでも、びっくりします。
引ったくりにあった人は、いつも背後からの物音に警戒するでしょう。後ろから誰かが近づくだけで強い緊張をするでしょう。
道を歩いていて、何か物音がした瞬間、体がすくんでしまうこともあるでしょう。そのショックな出来事に、大きな音がしたという事がなくても、ちょっとした物音がしただけで、びっくりします。
これもトラウマ反応で典型的に起きる症状です。
もし、その人が今も危険な場所で生活しているのだとしたら、このちょっとした音ですぐ逃げる隠れるといった反応が出来るほうが、安全を確保できるはずです。
いつライオンに襲われるかわからないサバンナで生活するには、この警戒心がなければ生きていけません。
つまり危険な状況から身を守る仕組みとして、この過覚醒はおきています。しかし、もうその出来事は終わっていて、今が安全な環境となっているにもかかわらず、この反応が続いてしまうのが、トラウマ反応です。
・回避
この再体験症状や、過覚醒の症状が続いていると、恐ろしくて生活がままなりません。
そこで、そのことを思い出すこと。思い出させるようなきっかけとなること。そういった事を避け続ける回避をするようになっていきます。
引ったくりにあった人は、その被害にあった場所を避けるようになるかもしれません。買い物に行く途中であれば、そのお店に行くのをやめるかもしれません。夜、外に出るのをやめるかもしれません。
いずれも、それをすると『危険』だからというわけではなく、それをすると『過去の危険な目に逢った記憶』を思い出してしまって、強い恐怖感がわいてくるため避け続けるのです。
辛い記憶を思い出すことを避けるため、ずっとお酒に頼る人もいます。またずっとテレビゲームに没頭する人もいるでしょう。また一人静かにしていると思い出してしまうため、毎日用事を入れて忙しくする、また仕事を掛け持ちして、日曜日も働くなどして、いつも忙しくする人もいます。
一見社会生活をきちんとしているように見えるかもしれませんが、一人で暇になる時間が怖いため、忙しくし続けているのです。
また、一生懸命医者に通っていますが、頭が痛い、おなかが痛いと、体の症状のことだけ医師に伝えて、薬をもらい続けている人もいるかもしれません。
体の症状のことだけ気にしているのであれば、そのつらい出来事のことを意識しないで済むからです。
このように、回避というのは、そのトラウマ反応が長期化するにしたがって、本人もこれが回避だとわからないくらい巧妙に続いていく事になります。
辛いことを思い出さないようにする。そのこと自体は、安全な生活には大切なことです。しかし、回避が続いている限り、その問題となった出来事の処理はまったくされないまま、こころと体の中に残り続けていきます。
トラウマの反応がなかなか治らない理由は、ここにあります。回避をしてしまうため、そのつらい感情記憶の処理が終わらないまま残っていることが、とても大きな原因となっています。
・解離(麻痺)
またトラウマ記憶が日々浮かんできて、苦しい感覚がずっとあると、生活に大きな支障をきたしていきます。
そういった状況から自分を守るため、その嫌な感覚を感じないようにする仕組みが体にあります。
それは解離といわれる仕組みです。
解離には感覚の麻痺、運動の麻痺、没入、離人、健忘等いくつかのパターンがありますが基本的に、その嫌な感じを感じにくくし、またその問題があることを意識しにくくし、その出来事があることを思い出しにくくすることをしています。
好きなゲームに集中している時は、明日までにしなくてはならない宿題のことを忘れて過ごせる。これも没入と呼ばれる解離の例です。一つのことに集中することで、不安な感覚を感じなくさせていきます。
解離は私たちが生活を安全に過ごしていくためにもっているメカニズムですが、そのつらい体験を思い出しても何も感じない、感じることを遮断するメカニズムが続くと、嫌なことだけではなく、楽しい感覚や、そこに自分がいて何かをしているという現実感も薄れていくため、自分が生きて何かしているという感覚が薄くなり、まるで自分はロボットのような感じで、ただ動いて何かしている(離人)という症状となることもあります。
このような状態にずっとあると、自分の人生を生きている感じがしなくなるため、何となく自分は将来長くは生きられないと感じます。他の人は、年を取って結婚して、子供たちがいて、そのあと何十年かしたら孫たちに囲まれていて…をイメージ出来ていても、自分はどこかもっと早く病気をしてこの世を去るのだろうなと思うようになります。
この将来が短いだろうと確信している感覚も、トラウマ反応にはよく見られる特徴的な症状です。
体の感覚が麻痺していて、何も感じないという事も多くあります。
その人が体験してきたことが、あまりにも苦しい状況であったため、少しでも体の感覚を感じると暮らしていけなくなるほど辛い感覚が沸き上がっているからです。
ただ、何も感じないと、自分の手や、顔を触っても、死体の腕を触っている、ゴム人形の顔を触っているような違和感を感じたりもします。
私たちはこの世界を生き延びるため、この世界の情報を様々な感覚を通して理解しています。今は安全か、危険か、ここでこれを言ってよいか、良くないか、しても良いかどうか等、判断しています。
その情報源である感覚が麻痺してしまうと、安全に過ごすこと自体が難しくなってしまいます。何も感じないことは、辛さを感じないための重要な機能ですが、問題もあるわけです。
また、小学校の時のことは思い出せていても、辛い体験をしていた中学時代のことはほとんど思い出せない。これも解離(健忘)の例です。
・考え方が変ってしまう(自責の念・自己否定と社会不信)
トラウマ体験は、そのひとの考え方、人生観、世界の味方を変えてしまいます。
ひったくり被害にあった人にとっては、この世界はもはや安全ではありません。
いつも買い物に出かけていた道も、そのお店も、全て恐ろしい場所にかわってしまうかもしれません。
また自分はいつもひどい目に逢うはずだ、自分は無力だと自信を失い、何かをしようとする意欲も失っていくかもしれません。
トラウマ体験はその人の、その人らしさを根底から変えてしまいます。
しばしば起きる考えとして『自分のせいだ(自責の念)』『私はみじめで無力だ(自己否定)』があります。
【うつ病について(自分のせいが生まれる仕組み)】のところでも説明しましたが、人は、受け入れられない辛い体験をした時に、自分がしたことしなかったことにその原因があると信じて、自分がこうしていたら、そんな体験しなかった(虐められていた子が、自分がもっと人気あったらこうならなかった。犯罪被害にあった人が、あんな夜遅くあんなところあるいていなければこうならなかった)と、考えて自分のしたこと、しなかったことを責めます。
このようにトラウマ反応では、強く自責の念や、自己否定が起きてきます。
そのつらい出来事に意識が行かないようにして、そのつらさから守ってくれている仕組みでもあります。
自分のせいだというところで考えを止めることで、その実際体験した恐ろしさを感じないように避けている。
つまりこれもトラウマ反応で起きる回避の一つです。
また、この世界を安全だとおもっていた、人を頼っていいと思っていた人も、この世界は恐ろしい、何があるかわからない、人を信頼なんてできない、こんな惨めな自分を嫌うに違いない…強い社会への恐怖感、不信感がわいてきて、社会とのつながりを避けるようになっていきます。
人生で、最も苦しい体験をしたにもかかわらず、自分の恥だと感じ、また人とつながることを恐れ、孤立していく事になるのです。
これらはトラウマ反応がなぜ長く続いてしまうかの大きな理由の一つになってもいます(『トラウマ反応が長引く理由』で説明します・現在製作中)
トラウマ反応の代表的なものとして、『再体験症状』『過覚醒』『回避と解離』『自分と世界に対しての否定的な考え』をあげました。この四つは、トラウマ反応の代表的な症状です。
トラウマ反応として代表的な状態であるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断基準の一つ、PTSDの四つの徴候(四徴)とも呼ばれています。
では、こういったトラウマ反応が、脳の中で、どのような仕組みで起きているのか。
次の章では、自分の感情と体を繋ぐ仕組みの一つ、自律神経系の反応という観点から説明していきます。
ポリヴェーガル理論(トラウマ反応と自律神経系の関係)